学校に違和感を抱く教師の3つのパターン

恐らくこの記事を読んでいるあなたは

学校現場に何らかの違和感を抱いていることだと思う。

僕もそのくちで、学校に感じる違和感が年々強くなっていき最終的に修正不可能なぐらい学校と自分の心とで距離が開いてしまったため退職した。

細かなきっかけは色々とあったがそれらは退職の時期を早めただけにすぎない。

さて、この違和感の正体が何なのか。

これはそれぞれの人の思考のパターンや背景が異なるので、申し訳ないがここではっきりと言い当てられない。

ただ、「人間の同類性」の観点からこのことを考えてみる。

人間には同類性がある。

つまり「類は友を呼ぶ」効果だ。

例えば教師として学級経営をしていると、

活発な子どもは活発な子どもどうしでグループを作るし、おとなしい子どもはおとなしい子どもどうしでグループを作る。

僕は先日保育園の入園式に行った際、他の保護者と話してみたが、やはり話しかけやすいと感じる人たちは似たような傾向を持つ人たちばかりだった。

学校の中には色んな個性豊かな先生がいる。

が、大きな傾向はあると思う。

規則を守ることを大切にしがち、努力と根性を大切にしがち、お金に対する心のバリアがある、前例踏襲が好き、人目を気にしすぎる、責任をよそに転嫁しがち、、、、、などなど。

僕から見た教師の傾向は上げるときりがないが、学校に違和感を抱いている人はそれぞれにこういったことを感じているのではないかと思う。

つまり「自分の居場所じゃない感」が半端じゃないわけだ。

この気持ちを一度抱いた教師は主にこの後3つのパターンに分かれると思う。

学校に違和感を抱いた教師がとる行動3パターン

①現場に残り自分の意思を突き通す。

②現場に残るが心の奥の方に気持ちをしまい込んで表面的には大勢にあわせる。

③辞める。

①を選択した場合、多くの場合が変人扱いをうける。

あとすごくしんどい。

信念は曲げないので大切な部分は守られるが、周りとの摩擦が起こるし自分の人生のリソースの多くの部分を教育改革に捧げなければならないのでかなりのストロングスタイルにならざるを得ない。

これをやり通せるかは、本人の胆力と環境要因に左右されると思っている。

過去に僕は生徒指導の責任者でありながら2年以上子どもを叱るのを自分に禁じた時期があった。

学級の生徒も学年の生徒も叱らなかった。

これは対話による歩み寄りと合意がコミュニケーションの最適解だと考えたためで、力を用いた指導は「押し付け」や「時短」であると考えたからだ。

最初はかなりのバッシングを受けた。やり続けることにより多少の理解は得られたが、そこに至るまで相当な時間がかかった。

「見直さなければならない教育の課題は山積しているのに一つやり通すだけでこんなにも摩擦が起こってしんどいものなのか」と辟易とした。

病みはしなかったものの、妻に言わせると当時の僕には相当な負荷がかかっているように見えたらしい。

①をやり通す場合の胆力と環境要因について、僕のパターンでは条件が悪かったように思う。

①のストロングスタイルを貫いている全国の素晴らしい先生方に比べると、僕はもしかすると胆力が未成熟だったのかもしれない。

また、僕の所属していた自治体は周辺地域に名が轟くくらい封建的な風土がある。

その中にあっても、さらに昔ながらの考え方をもった学校にいたようで、古い考え方の頑固さは尋常ではなかった。

②のパターンの先生には何人もあってきた。

自分を殺す生き方だなと容易に想像がついたし、自分にはそれはできないなと早々にあきらめた。

②は僕には無理だった。

②で長く続けたとしても、それで年を取って退職して小金持ちになって何の意味があるのか。。と考えた。

また機会があれば別の記事で書こうと思うが、僕の家庭のように夫婦がともに教師をしている場合は退職の時点で小金持ちになれる家計のポテンシャルがある。

しかし、60や65になったときに自分の心を殺して得られるまとまったお金に、僕は価値を見出せなかった。

多分この記事を読んでいるあなたもそうだと思う。

周囲に理解者がいて、自分の気持ちもある程度整っていて、全国にいる仲間と頑張りたい人は①を選ぶといい。

環境や自分の状況を考えたときに、自分や家族を守るためには②を選択するのも悪くはない。

そのどちらもができない人は僕のように③を選ぶしかない。

僕が言いたいのは、③を選択するのもアリなんじゃないかということだ。

具体的に方法論は別の記事に任せるが、③を選択したいあなたのために僕は何らかの形で情報を残していきたいと思っている。

忘れてほしくないのは①~③どれを選択しても、それは尊重されるべきことであるということだ。

どれが間違っているということもない。

僕がしていきたいのは、③の選択をした人がその後の人生も自分らしく豊かに生きるための手助けをすることだ。

だって我々は逃げたわけではない。

(逃げたという十字架を自分に課して原動力にすることはそれはそれでアリだ)

学校という環境にいると、人間が持つ同類性によって自分の良さが死んでしまうと判断したから別の場所に移動するだけだ。

人がどんな環境でどのように生きるかはその人が選択できる。

すべてのことはトライ&エラーで、

「教師という生き方を選んだのは自分だけどしっくりこなかったから次の挑戦をする」

これはまったくもって不自然なことではない。

だから僕は自分も努力をするし、自分と同じように次のステップを踏み出す人を応援したい。

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この記事を書いた人

教員の複業について日本で一番詳しい者です。
学校の内外を往還する先生を研究実践するNPO「越境先生」代表。
教育系複業家。
現職:任意NPO代表&SchoolTech企業社員&個人事業主/
過去の職業:複業&小学校非常勤←中学理科教諭←教育大←吉本新喜劇 |

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