「この兼業申請は受理されるのでしょうか?」当サイトの管理人に公立学校の先生方から多く寄せられる相談の一つです。
申請をして不許可になってしまえば兼業する道が閉ざされてしまう、自分のやっていることが否定されたような気持にもなるかもしれません。
兼業申請は越境をしようとする教師にとって、障害の一つになっているといえます。
そこで今回は、育児漫画出版の兼業申請が不許可になりながらも法にその是非を問い、出版の道を切り開いたパパ頭さんにインタビューを行いました。
法廷にまでその是非を問うたパパ頭さんのお話をもとに、兼業の実現まで何を考えどのように行動したのかを紐解きます。
※この掲載されている画像をクリックすると漫画を全編読むことができます。
育児での気付きを漫画で描き留め始めた
育児漫画を描き始めたきっかけは何だったんですか?
育児をする中での「気付き」を忘れたくないなと思ったんです。
絵そのものは私の趣味で、子どもの頃からずっと描いていました。子どもが誕生してからというもの、色んな気付きだったり、考えたり悩んだり、素敵な気持ちになったり…ということが毎日こみあげてきたんです。すごく強烈で貴重な経験である一方で、毎日忙しくしているとそれらが積み重なりどんどん忘れていってしまうような感覚を覚えました。それがもったいなくて、自分が感じたことを記録していきたいなと。自分は昔から絵が好きで高校生の頃から漫画を描くことが趣味だったので、せっかくだから漫画の形式で残してみようと思って始めたのがきっかけです。
パパ頭のアカウントではもともとゲーム漫画を描いてアップしていました。育児漫画を描くようになってからは同じ漫画なので並行して上げていたのですが、むしろそちらの方が反響をいただけるようになりまして。今ではどちらかというと育児漫画アカウントみたいになっていますね。
次男の育休後に編集者さんから連絡が
どういったきっかけで出版のお話が来たんですか?
出版社の編集者さんからご連絡をいただきました。
漫画そのものは長男の”にに”の誕生から描き始めているのでもう5年ほど描いていることになります。次男の”とと”が生まれて2度目の育休を取得し、それが終了して職場に戻ったあたりで「育休をとって良かったことランキング」というような漫画を描いてアップロードしました。
そのあたりから一気にフォロワーさんも増えまして、今もお世話になっている編集者さんからDMをいただいたんです。実際にお電話もさせていただき「社会的に意義のあるものだと思います。」と温かい言葉をくださって。「書籍化はすぐには難しいかもせれませんが準備していきませんか?」というお話をいただき、そこから描いた漫画は編集者さんにフィードバックをいただきながら描いていきました。最初は個人的なつながりができて「よかったらチェックしますよ」くらいの温度感から始まったのですが、この頃に僕もずいぶん勉強させていただけたなと感謝しています。
実は最初のお電話をいただいたときには私自身に兼業の許可に関する知識がなく「お話はありがたいのですが立場上出版することは難しいと思います。」とお話していたんですね。でも編集者さんがとても熱い気持ちを持ってくださっていて「公務員の方を担当したこともあるので、全くダメってことはないはずです。ちょっとやってみましょうよ。」と言ってくださったんです。ただやるからには相当のインパクトがないと許可が下りないかもしれない。社会的意義があるモノなんですよということを説明できないといけないということもあり、最初にご連絡をいただいてから半年間ほどは編集者の方にチェックをしてもらいながら作品を作っていくという作業を繰り返しました。作品としての完成度、公務員が出版するものとして相応しいかどうかといったこと含めて伴走してくださったので、担当の編集者さんには感謝しかありません。
復帰して半年、校長先生はOKだったが許可は出ず
いよいよ兼業の申請を出す…となったとき何が起こったんですか?
校長先生はOKしてくれたものの、思わぬ結果が返ってきました。
半年のあいだ作品を作り続け、本業に支障をきたさないゆっくりしたペースでも充分に書籍化できるという見通しが立ちました。担当編集者の方に企画書などの兼業申請に必要な書類を一通りそろえていただき、校長先生に相談に行ったんです。校長先生は教育委員会で色んな業務に従事されていた方で兼業に関しても精通されていました。話しやすい方で、この作品を出版することの社会的意義などについてもご理解くださったので校長先生の方から教育委員会に兼業の許可申請をあげていただけることになりました。最初は出版なんてできないだろうと思っていたので、とてもうれしかったです。
あまり過去に例のない兼業だったからかもしれませんが、数週間たっても連絡がこず1カ月以上たったある時校長室に呼ばれました。「非常に残念なんだけど、この案件については許可が出なかった。」と伝えられました。ただ許可が出なかったという表現も難しくて、通常であれば正式に提出された兼業申請に対しては可否に関わらず書面での通知が出るはずなんです。不許可であれば理由がそこに記載されていて不服であればその申し立てもできる、という流れです。でも私の場合は書面による通知は行われず、口頭でダメだったということを伝えられる形となりました。
それは唖然としますね…
唖然…というか本当にもうショックで、校長室から出てしばらくは廊下の壁にもたれかかって唸っちゃったというか…。編集者さんから背中を押していただき、校長先生にも認めていただいて、ここまでがトントン拍子だったのでそのギャップで余計にショックだったのかもしれません。
それはとても悔しかったでしょうね…、、、
悔しいというのもあるのですが…
これは自分の立場に立った言い方になってしまうかもしれませんが、あまり生産的ではない対応というか何かルールに乗っ取った誠実な対応ではないものが行われたのではないだろうかという違和感がありました。私のこの書籍化がダメだったにしても明確な理由が示された上でなければこの後の表現活動も何をして良くて何をしちゃダメなのかがわからなくなってしまう。
公務員に副業の規制があることは理解していましたし納得はしていたのですが、規制をかけるからにはちゃんとした理由や基準や根拠というものがないと実質的に何もできないことになってしまいます。それは私以外の教員にとっても良くないことにならないだろうか…と、このあたりからそういった問題意識を持つようにもなりました。
私憤ではなく”公憤”が芽生えたのですね。
私憤は勿論ありましたよ。
正直に言ってしまうと個人的な怒りみたいなものもけっこう沸き起こってきました。ただこの私憤の部分に主導権を握らせてしまうと、多分すごく重要なこの後の判断をミスすることになりそうな匂いを感じたんです。その辺ちょっと我慢しきれなくなって黒いN頭みたいなやつを時々書いちゃっていますが。
客観的な判断を求め、法に裁定を委ねる
公憤をもとに一人で訴訟を起こすことになるのですか?
最初は自分にできることから始めました。
当初は労働に関して困ったときの相談コーナーや、校長先生に再度相談してみるとか…。あとはそれぞれの学校がある地域でその学校を監理している支所というところがあるのですがそこに対して不許可なら不許可の通知を出してほしいし理由も教えてほしいというようなお手紙をしたためたりしました。
しかしはっきりとした回答は得られないまま1カ月2カ月と過ぎていきまして、そういうことを重ねていくうちに自分が間違っているんではないだろうかという不安に駆られるようになりました。もしかすると自分のピントがずれていて、空気も読めていないはた迷惑なことをしてしまっているんじゃないかという気持ちになってくるんです。
私の考えや行動がダメならダメで良いので、ならそれを客観的にジャッジしてくれる人は誰だろうなって考えたときに、やっぱり法律かなと思いまして。そこで法テラスという法律の問題を支援してくれる窓口に連絡をし、弁護士さんにつないでいただいたという流れです。そこでつながった弁護士さんに意見書を書いていただいたりと色々動いてみたのですが、それでも状況は変わらなかったので最終的には訴訟へと動き始めることになりました。
お世話になっていた担当編集者の方には不許可になってしまった段階で「申し訳ない結果になってしまい、伴走していただくのもここまでになりそうです。」とお伝えし謝罪しました。でも僕としてはこの兼業の問題を追及していきたい気持ちがあったので、世に訴えるような意味も込めて、訴訟を起こすに至った経緯や私の考えを漫画で表現しようと思いました。すると一度は関係が終わってしまったと思っていた編集者さんから「どうせ漫画を描くのなら良いものであるべきだろう」みたいな風に言っていただきまして…その漫画をチェックしてもらい大幅に改善し発信することができたんです。
担当さんには足を向けて寝られないです!
Twitterに上げたところ何万リツイートもされて多くの方に関心を持っていただき、Call4さんという公共訴訟プラットフォームの団体様に見つけてもらえました。公益性の高い訴訟だと思うので一緒にやりませんかと言ってもらえたんですね。
妻のサポートも大きかったです。漫画にしようかとも思って結局してはいないのですが、当初私の兼業申請が通らなくて話も全然聞いてもらえなくて、怒るというよりはどっちかというとメソメソしていまして。悲しいという話を最初は聞いてくれていたのですが、そのうち「なんで悲しんでいるんだ」と叱咤激励してくれるようになったんです。「悲しんでいて何か状況が好転するのか!そうではなくて行動せねばなるまい!」みたいにです。そんな風に妻が私の気持ちを拾ってくれていたのも大きかった気がします。
長引く訴訟、そして和解
最終的に和解されていますが、どのように着地されたのですか?
和解に至った経緯についてはいまだに葛藤することもあります。
訴訟というものは結論が出るまでにとても長い時間を要します。こちらの主張に対する相手の主張が返ってくるまでに1カ月半くらいの時間が1回ごとにかかってしまいます。スピード決着のようなことにはならないんだなと実際に経験して感じました。
最初の方は地方公務員法に基づいて主張しているのか教育公務員特例法に基づいて主張しているのかという、あまり本筋とはそこまで関係しないところでやり取りしていて、それだけで数カ月がたってしまいました。最終的にはどこで決着したかというと、相手の主張としては「実は我々は判断そのものをしていません」ということになりました。どういうことかと言いますと、「申請に際して許可不許可の判断をする材料が充分にそろっていなかったので、まだ正式には結論を出していない段階なんですよ」ということでした。
兼業申請をした最初の段階で漫画も見せ、これ以上ないくらいの情報を最初に整えて校長先生にお渡ししていました。そのうえで許可を出せないという連絡が来ていたので校長先生と支所の間でやり取りがあったはずだと指摘をしたのですが、それら資料が手元に届いていたかどうか、やり取りがあったのかどうかを含めて記録が残っていないので支所に判断材料が届いていたかどうかを立証できないということになりました。
もし判断材料が足りなかったのであれば追加で提出するよう指示を出すべきだったと思いますし、私は不許可になったと思って通知を求める手紙を届けたりしているわけですので行政法的に考えても不自然ではあります。ここを追求していけばもしかすると勝訴まで持って行けたかもしれませんが、その争点をもう一度問うていくとなるとまた1年以上かかってしまうかもしれない…。その時間をかけて仮に勝訴できたとしても、結局は改めて許可不許可の判断がなされるにすぎず、兼業の許可基準を明らかにできるわけではありません。
色んな方にご支援いただいていましたので、突き詰めて結論を出すべきかとも思い、非常に葛藤しました。勝訴しても許可の基準が明確化されるわけではない。それであれば現時点で和解し許可を適正に行ってもらうことで「今回の兼業に関してはこういった基準で判断された」という実績を残す方が良いんじゃないかというようなことを裁判所からもご提案いただきました。
そこで今後は少しでも基準が明らかになっていくような方向性で活動を続けようと思い、和解という結論に至りました。未だに時々悩んじゃいます。スッキリ気持ちよく終わる…という風にはなかなかならないものですね。兼業の基準について議論をしたくて訴訟を始めたものの、なかなか本丸の話し合いには至れないことに難しさを感じました。そこの見込みの部分は私は甘かったのかもしれないですね。
和解の後、もう一度兼業の許可申請をし、今度は許可が下りて育児漫画を出版できることになりました。
これからのパパ頭さん、これからの教員
これからのパパ頭さんはどのような活動をしていかれるんですか?
様々な活動を通して、兼業の許可基準の輪郭を確かめていきます。
ありがたいことにTwitterやInstagram経由で色々とお仕事の依頼をいただけるようになりました。その中には色々と形式の違う多様なお仕事があります。届いた様々な依頼について一つ一つ丁寧に整理しながら、「これはどうなんでしょう?あれはどうなんでしょう?」と許可申請を通じてお伺いしていこうと思います。これは通ったけどあれはダメだった…という事例が積み重なっていけば許可の基準に関する輪郭が見えてくるんじゃないかと考えています。
これからの私の兼業の可否を事例として積み重ねて発信することによって、それを見たほかの先生方の活動や許可申請の際の判断に活かしてもらえたらいいなと思っています。
教員の兼業がもたらす未来
教員の兼業は学校や社会に何をもたらすと思われますか?
生徒たちをウズウズさせられる営みになればと思います。
それぞれの立場によって見え方や意見が変わってくると思うので、私自身もっと視野を広げないとなとは思っています。そのうえで、学校ってすごく閉鎖的な空間ではないかなと思うのです。教育活動についてもそうだし学校内で採用されている細かいルール一つ一つとっても、前例を踏襲しているようなものが多く、あまりアップデートされていないのではないかと。
社会の変化は非常に早くて、しかも加速度的にどんどん変化が著しくなっています。そんな風に学校と学校外とのギャップみたいなものがどんどん生じてくると結局不利益を被るのは教員ではなくて生徒なんだと思います。学校ではうまくやれてたのに卒業してから「こんなことを教わってないこんなこと知らない」と、逆に学校の常識が全く通用しなくて生徒が苦労している様子をよく見かける気がします。
目の前の生徒たちを見ていても社会に出るのが怖くて不安で「きっと世の中出たらすごく不自由で、ずっと言うこと聞いてうまくやっていかないといけないんだ」みたいな気持ちになっている子が多いように見えます。
学校の先生もすごく疲れていていっぱいいっぱいで、なんだかその背中に光が見えないというか。すごく大変そうな背中を見て育つというのもなかなか息苦しいんじゃないかと思います。
それを解決するには教員が学校内にとどまらずに、学校外でいろんな景色を見てきて自分の視野を広げて経験を積んで、それを学校に還元していくという循環があった方がいいと感じるのです。数学の先生が数学に詳しいのは当たり前なんだけど、もしその数学の先生が「実はCD出すぐらい音楽めっちゃできるらしいぜ」となったら単純に面白いしワクワクするしますよね。大人ってすごいなっていう…!
「学校卒業したら人生はどんどん自由になって色んなことできるんだ、ウズウズするぜ!」
みたいな気持ちになってほしいですよね。
そんな風にしていくためにも、教員が一歩外に出てみるというのは効果があると思うんです。
パパ頭さんの活動詳細、関連記事
今回はパパ頭さんの兼業の是非を問う訴訟の経緯とその裏にある信念についてお伺いしました。
2人のお子さんやパートナーを始め、担当編集者の方や弁護士の方々、社会活動団体の協力とご本人の信じる未来の教員像を胸に、パパ頭さんはこのほど1冊のコミックエッセイを出版されました。
内容は子どもたちと奥様との生活の中で得た気付きや学びが詰まった心温まる作品となっています。その背景には数々の葛藤と困難を乗り越えた心意気と、開かれた公教育を求める祈りが込められているのかもしれません。
長い道のりの末出版に至ったパパ頭さんのコミックエッセイをお読みいただければ嬉しいです↓↓
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