学校の先生が兼業に興味を抱いたとき、まず真っ先に思い浮かぶのは「出版」ではないでしょうか?
「自分の実践をカタチにしてみたい」
「学校外でどれだけ価値提供できるのか試してみたい」
こういった想いを持つことは、教育に携わる人として自然なことです。
ではどのようにすれば出版ができるのか―。
学校の先生が出版するためのノウハウがどこかに確立されているわけではありません。
そこで今回は2023年5月1日に5作目の著書を出版されるめがね旦那さんに、最初の一冊を出版するに至った経緯や執筆の仕方についてインタビューを行いました。〔聞き手:前田ひろあき〕
【めがね旦那先生】
中堅の公立小学校教員。心理的安全性・子どもの主体性をもとにする学級づくりや、威圧によらない生活指導を研究実践している。自身の実践を精力的に発信しており、小学校教員でありながらこれまでに4作の商業出版の経験がある。2023年3月13日に学習評価に切り込んだ一冊『それでも僕は、「評価」に異議を唱えたい。』を出版。2023年度はさらに2冊の単著の出版を控えている。Twitterのフォロワー数は4.3万人。
「影響力が増せば出版の依頼が来る」は間違い
どういった流れで最初の一冊を出すことになったのですか?
きっかけはTwitterでの発信でした。
育休を取得した際に、自分の実践や学校教育に対して思うところをTwitterで発信するようになりました。ありがたいことに数カ月で2万人を超える方にフォローしていただきました。あるとき私がいいなと思った知育玩具を紹介するtweetをしたのですが、それがAmazonで売り切れになりまして…数万人という方に向けて発信することは多少なりとも影響力のあることなんだなと実感しました。
そうこうしていると、献本してくださるというお話を出版社さんからいただくようになりました。教育書を読むのは好きだったので無償で提供していただけるなら…ということで、いただいた本を読んで書評を発信するということを繰り返していました。
その流れで出版社さんと繋がり、依頼を受けるようになったということですね。
いえ、実は自分で企画書をご提案しました。
学びのために始めたTwitterでしたが、もっと深めるために自分の実践や考えを形に残したいなと考えるようになりました。ご質問いただいたように、ある程度フォロワーさんがいる状態の人は出版社から声がかかったりするのかな…とぼんやり想像していたのですが、私の場合はそうではなかったです。出版社の方との繋がりは献本の流れであったので、出版してみたいということをお伝えし企画書を提出しました。それが上手く受け入れてもらえて出版に、という流れです。
後に打ち合わせの際に「実はお声がかからないかなと思っていたんですよ。」と雑談の中で言ってみたのですが「なかなか出版社側からお声掛けすることはない」ということを教えていただきました。編集者さんたちも我々と同じで日々の業務が忙しくて、能動的に誰かを見つけよう!という雰囲気ではないのかもしれません。僕も出版してみるまでは「研究会やインターネットなどで実践をアウトプットしていたら出版社から声がかかるんだろうな」とぼんやりと思っていたので意外でした。だからもし「出版をしてみたい」と思うのであれば、待つのではなく積極的にアプローチした方が良いのかもしれませんね。
細かくテーマを区切って6万字を書ききる
どのような流れで執筆されているのですか?
2000~3000字の文章にまとめるのがコツです。
教育書一冊のボリュームは6万字程度です。最初に目次を書くのですが「その指導はしない」の目次はかなりスラスラと書き上げることができました。「その指導はしない」にまつわるテーマを30個ほど上げられれば、あとはそれを2000文字ずつ書いて6万字になる、ということです。2000字程度だったらブログでもよくある文字数ですよね。2000字を30テーマであれば1年間かけて自分の実践を深めていけば書けないことはないですし、逆にそれくらい書けるように実践を深めていかないといけないとも思っています。
どれくらいの期間を経て出版されたんですか?
「その指導はしない」でいえば1カ月で書き終えました。
本来は企画から出版までに1年くらいの期間がかかるそうなのですが、僕は早くて1カ月程度で書きあがります。「その指導はしない」だと3月に企画が通り、翌年の4月に出版を…ということで進んでいましたが、3月~4月の期間で書ききることができたのでその年の7月に発売できました。ここは人それぞれだと思いますが、僕の場合はモチベーションが高いうちに書ききってしまう方が向いていると思います。ただこれも30個に区切ったテーマを2000文字ずつ書いているので思われるほど負荷がかかっているわけではありません。
匿名の執筆によって得られるメリット
そもそもなぜ出版したいと思うようになったのですか?
usaoさんという発信者の方が匿名で出版されていたことが大きかったです。
以前usaoさんという発信者の方がいたのですが、その方がハンドルネームのまま出版されていたのを見て、出版へ対する関心が高くなりました。それまでも「できそうだな」とか「学びを深めるためにやってみたいな」という考えがあったのですが、匿名でも出版できるというイメージがありませんでした。しかしusaoさんの出版を見て「匿名でもいいんだ」と気づかされたんです。
僕に限った話ですが、自分が実名を出してしまう弊害も大きいなと考えています。例えば教科の実践内容や仕事の効率化の話など、自分の強みのある部分を限定的に語るなら実名で発信しても問題はありません。ただ僕は教育全般について深いところまで語りたいですし、これまでもそういった発信をしてきました。その僕が実名を出してしまえば、色んな人に結びついて誰かを傷つけてしまうかもしれません。発信の内容に制限をかけないよう、今後も「めがね旦那」として発信していくと思います。
同僚や保護者の方はめがね旦那さんの発信活動をご存じなんですか?
管理職の先生以外はほぼ誰も知りません。
出版や発信をすると気になるところかもしれませんね。伝えていないのでほぼ誰も知らないという状況です。よく発信で「あなたの隣の先生がめがね旦那かも」と言っています。だから管理職の先生しか知らないです。―という状況が続いていたのですが、実は最近同僚に聞かれました。数年前からフォローしてくれていたようで、僕の発信と学校での実践内容が合致したようです。知られるのが初めてだったので少しドキドキしました。内緒にしておいてもらえるようお願いしました(笑)
初めての兼業申請は意外にも…
出版の兼業許可はどのように降りるんですか?
僕の場合は管理職の先生のOKが出ると認められることが多いです。
出版社で企画が通ると、出版社から僕に執筆依頼書というものを発行してもらえます。これをもって校長先生に許可の申請を出します。その後申請が教育委員会にあがっていき、何人かの決裁を経て許可が降りるという流れです。僕のいる自治体の場合は校長先生の許可が降りれば概ね許可される可能性が高いという所感です。教科に関する執筆や教科書の研究編しかダメ、というような時代もあったと聞いていますが最近ある程度緩和されてきているのかなと思います。
実践を言語化することで得られるものとは
教員の著述業はどういった効果をもたらすと思いますか?
教育実践を深めていく効果があると考えています。
子どもたちを適切に評価するためにも実践を言語化していくことは非常に重要なのではないかと考えています。
最近、教育評価に関心があって色々と調べています。そのなかで教育鑑識眼という言葉に出会いました。「鑑識」というのはいわゆる芸術作品を観たときにそれの価値を見つけることを意味します。教育工学を研究していたJ.M.アトキンという人が鑑識眼という言葉を持ち込んだのですが、彼曰くは教育鑑識眼を高めないと子どもを適切に評価することはできないそうです。
芸術作品の評価はそれが創られた時代背景、作者がどんなことを考えていたか、同時代の作品はどういったものか、どんな技法が用いられているか、など多角的に様々な視点を持って行われます。それと同じように子どもたちの事象についても心理学的な知識、教育社会学的な知識、教育工学的な知識など様々な知見を踏まえて子供の 実態を評価していく必要があります。我々は芸術作品を見るように子どもたちを鑑識していかないといけないと考えると、評価する側の教育鑑識眼を高める必要があるということです。
アトキンさんは教育者の教育批評の力を高めていくべきだと主張しています。教育批評というのがまさに言語化や文章化なんです。誰かの文章や誰かの批評を読んだり、自分の実践を言語化して教育批評していくという活動の中で鑑識眼を高めていくことができます。僕は教員としての鑑識眼を高めるために、教員研修の一環としてそれぞれの先生が自分の実践を言語化していくべきだと思います。
出版の許可申請を行う際に管理職の先生から「私は全ての教員がこういうことをするべきだと思う。」という言葉をいただきとても印象に残っています。自分の実践を言葉で語れなかったら僕は良くないと思うんです。なぜこういった働きかけをするのか、どうしてその教育法を選択しているのか、そこが説明できないと再現性もないですし、実践が形になっていきません。執筆という方法でなくてもいいと思いますが、自己研修として実践の言語化はやるべきだなと。僕自身自分のことを振り返る機会が執筆によってたくさん持てたので、ぜひおすすめしたいです。
学び実践し、発信することで得られるお金と価値
お金という対価をいただいたうえで言語化することの意義は何だと思われますか?
教育実践を深めていく効果があると考えています。
上手く言語化できない部分もあるのですが、お金という価値をいただくことは大きな意味を持つことだと思います。TwitterなどのSNSでもイイネやリツイートによって反響を数字として観測することはできますが、それそのものでは何もできません。一方で印税をいただいてお金で対価を受け取ると、お金は別のものに交換することができます。
皆さんに実践を紹介することでいただいたお金は僕にとって特別な意味があって、実はまだ使い道を考えています。自分の学びをもとにしていただいた対価なので更に学びを深めるために使いたいです。もっといろんな書籍を購入したり、大学院へのチャレンジなどもできるといいなと考えています。自分の学びによってフォロワーさんやお金といった定量化された価値のようなものを実感して、それを更なる学びのために活用していく。今日お話させていただいたことで新たに言語化できたこともありましたし、こういったサイクルを循環させていくことで実践と学びがどんどん深まっていくのではないかとワクワクしています。
めがね旦那さんの活動詳細、関連記事
今回はめがね旦那さんに教員の著述兼業についてかなり深いお話をお聞きすることができました。これを読んでくださった先生方も、何らかの形でご自身の実践の言語化に取り組んでみてはいかがでしょうか。
このほどめがね旦那さんの5冊目の著書「授業の余白 学びの自由度を高める22の授業論」が2023年5月1日に発売されます。実践を参考にすると同時に今回の記事をもとにした視点で読んでみても良いかもしれません。
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