嫌われる勇気と学級経営 ーアドラーを学校現場にー

私は学級経営にアドラーのメソッドを導入しました。

この記事ではなぜ導入したのかを簡単に紹介します。

初任で担任 褒めて怒って コントロールを失う

初任の時、私の学級はほとんどコントロールを失ってしまいました。

そもそも生徒をコントロールしようということが本質からずれてはいるのですが、

何にせよ意図せぬ方向に向かい、そして修正は不可能になっていました。

年度当初私は子どもたちのいいところを無理やり見つけてはなんでも褒めていました。

もう極端に。

すごく静かなクラスで、褒めまくり、1学期は平穏に過ごしました。

ただ今思うと、様子をうかがっていただけで、

あざとく褒める私の下心を生徒たちは見破っていたのかもしれません。

2学期からは声を荒げて怒ることが増えました。

最初褒めちぎっておいて、思い通りにいかないと怒り散らす。

今考えるととても恥ずかしいです。

2年目からは反省しましたが、どうしていいかもよくわからないのでなるべく自然体で接するようになりました。

すると、教室は前年のように変な空気になることはなくなりました。

3年目はよりいっそう自然体で、なぜかあまり怒ることはなくなりました。

少し荒れ気味な学年で、非行傾向のある生徒たちは大人を対等以下だとみなしぶつかってきていました。

非行傾向のない生徒にだけ上からいくのもおかしな話ですから、

私はどの生徒にもほとんどフラットに接しました。

なんとなく生徒たちからの見られ方も変わっていっていたように思います。

目次

3年目 決まりの中で自由に過ごす生徒

3年目にこんなことがありました。

悪しき習慣なのですが、昼食は前を向いて自分の席で食べなければならないという決まりがありました。

(もちろん感染症が流行するよりもっと前の話です)

昼食は出来合いのものを買ってきてもいいのですが、その日は節分でした。

学級でいつも面白い雰囲気を作ってくれていた3人の生徒が、恵方巻やらコンビニの巻きずしやらを示し合わせて持ってきていました。

いただきますと発生して、食べ始めたのですが、なんとなくその3名が教室の前方で恵方巻を食べるノリになりました。

他の生徒は座って前を向いたまま、残る3人は前に出てきて、作法の通りその年の方角を向いて黙々と恵方巻を完食するという、

非常にシュールな状況になりました。

学年じたい落ち着きがなくて、2年生くらいまで昼食時に立ち歩く生徒もいたような状況だったのですが、

決まりの中で楽しむという高度なことが、全員でできるようになっていた姿に一人震えました。

理不尽なルールがあっても心は自由なような。

なんでもない茶目っ気なのですが、とても自立した最高の姿だなと感動したことを覚えています。

このあたりから、教育は押し付けることではなく委ねることなのではないかと考えるようになりました。

嫌われる勇気と幸せになる勇気に出会う

そんな3年目、

嫌われる勇気の書籍に出会い衝撃を受けました。

内容は本に任せますが、自立と幸福について書かれていました。

特に「叱っても褒めてもいけない」という内容に衝撃を受け、

その理論が深く肚落ちしてしまいました。

教育学でアドラーを学んでいたはずなのですが、そこで初めてアドラーに会ったように感じました。

続編である「幸せになる勇気」もすぐに読破してしまいました。

このシリーズは対話篇になっているのですが、

1作目に悩める青年として登場した人物が2作目では教師になって登場しました。

アドラー自身が児童相談所のようなものを開設していたことと関連してか、

この2作目はもはや教育書と言ってもいいレベルの内容でした。

これが世に広がれば学校教育は変わると思います。

2作目で論じられている内容は、まさに学校教育の矛盾点や不自然さを看破したものでした。

知って納得しては もうもとの指導法に戻れない

2冊の本を読んだ後、アドラーの関連書籍について多くの書籍を読み、学校で実践してみました。

実践すればするほど、

「これは小手先のテクニックとして実践してはいけない。本質的に生き方や考え方を変える必要がある。」

そう考えるようになりました。

叱ること、褒めること。

両方とも指導者の顔色をうかがう癖をつけさせる行為です。

怖い先生がいないと緩んでしまう学級。

これは叱ることの弊害でしょう。

叱ることに効果があるのであれば、叱る先生はそう何度も叱らなくてよくなるはずです。

いつも褒めてくれる先生がいないとゴミを拾わない少年。

良い行いを見てくれている人がいなければ、褒めてくれる人がいなければ、実行しない。

これも他人の「褒める」を求めるあまり、正しい判断ができなくなってしまっているといえます。

そうではなく、自らが正しいと思うこと、誰かに貢献できると考えたことを実践できる人を育てたいのです。

アドラーを学べば学ぶほど、私はそう強く考えるようになりました。

むしろ、

「叱る」や「褒める」が子どもの自立を奪うかもしれない行為であるのならば、

それを使うのは不正義なような気がして、もう後には戻れなくなりました。

結局私は2校目で叱らず褒めない、自分が考える自立のための教育を

本質的に実践し始めました。

その時の内容はまた別の記事に任せます。

多くの先生方に、今日ご紹介した2冊の書籍が読まれることを願っています。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

教員の複業について日本で一番詳しい者です。
学校の内外を往還する先生を研究実践するNPO「越境先生」代表。
教育系複業家。
現職:任意NPO代表&SchoolTech企業社員&個人事業主/
過去の職業:複業&小学校非常勤←中学理科教諭←教育大←吉本新喜劇 |

コメント

コメント一覧 (1件)

コメントする

目次