アドラー心理学教育

生徒や部下・我が子を叱らずにいうことを聞かせる魔法のような技術①

教育コンサルタントのマサムネです。

私は教育において相手を叱るということをしませんし推奨もしません。

もしあなたが叱らずに子育てや学級経営・部下育成ができれば、お互いにとって幸せですよね。

この記事では叱らずにしっかりと指示を通したりこちらの言うことを聞かせる方法をお伝えします。

と、言いたいところですが、そんなものはありませんので紹介できません。

ですのでガッツリ叱ってください!

とも言いません。

叱らないと決めたうえで、

まずは「いうことをきかせる」という発想を変えていく必要があるということをこの記事で知っていただきたいと思います。

主に子どもたちを例に挙げてすすめますが、部下を持つビジネスパーソンの皆さんは子どもたちを「部下」に読み替えて進めてみてください。

「授業中に騒いだから叱った」は正統ではない

「授業中に騒いでいる生徒を叱った」

学校でよくみられるであろうこの場面を例に挙げてみます。

授業を予定通りに進めたいのは誰か

この先生はなぜ叱るのでしょうか。

他の子の勉強の権利を守るためともとれます。それもそれで正当な理由にみえます。

しかし長い目で見ると「叱る」は最善手とは言えません。

また、騒いでいる生徒を叱る最大の目的は授業を予定通りに進めることです。

「騒いでいる本人のために叱った」という場合もあるでしょうが、本記事を最後まで読んでいただければ叱る以外の方法で代替できることがわかるはずです。

勉強したい子もいるが勉強したくない子もいる

例えば苦手なことを無理やりやらされたらあなたはどんな気持ちになりますか?

多くの人はまじめなので渋々やるでしょうね。

僕は苦手なことをやるよう指示されたらめちゃくちゃ嫌です(笑)

例えば僕はあまり意味のない書類を手書きで書くことを指示されたりすると発狂すると思います。

でも僕の妻はこういった作業は得意です。

我が家では分担しています。

学校でも会社でも、「まんべんなく色んなことができる」を求められます。

どうしても算数が苦手だという子はいるはずなんです。

そもそも脳の作りからしてあまりその分野が得意でないといったこともあるかもしれません。

例えばあなたは先天的に両足がない状態で生まれてきた人に対して、皆と同じように50m走をさせ、

苦手で苦しみ、仕方がないからふざけて自分の価値を示そうとする彼に対して、

「今は50m走の時間なんだからマジメにやれよ!」と叱るでしょうか。

先天的に足のない彼であっても、彼なりに運動能力を向上させることは必要です。

しかし皆と比べられる状況の中同じように指導するのは、授業のデザインが悪いと言わざるを得ません。

飛躍しているように感じますが、多くの場合の問題行動はこれに置き換えることができます。

「でも苦手なことでも努力で克服するべきだ」

こんな声が聞こえてきそうですが、果たしてそうでしょうか。

苦手なことも克服しなければならない時代は終わる

学生時代のスポーツテストで、僕はどうしても立ち幅跳びと50m走が苦手でした。

この二つは常に平均を下回っていました。

状態起こしや反復横跳びでは万点を出せるのに、なぜかこの2種目はうまくいきません。

走りこんでみたり、色々試したのですが記録が伸びることはありませんでした。

30歳を過ぎてからわかったのですが、僕にはどうやら股関節の形態異常があったようで、全身麻酔をかけて股関節の骨を削る手術を行いました。

苦手なことをとにかく根性で何とかしようとするのは美徳のように見えますが、この考え方は危険でもあります。

現在の教育のカタチが作られたのは明治ごろですが、その頃は工場で一定の質の仕事ができる人材が必要とされました。

また、軍艦を問題なく運用するために、これも色んなスキルを一定水準で獲得している人材が必要でした。

だから平均的に色んなことができる人を育成しようという教育のデザインになっているわけですね。

しかし、現代はどうでしょう。

当時必要とされていた人材の仕事はAIやロボットに代替されつつあり、この勢いはさらに加速していきます。

平均的な成果を上げる人材はこれからテクノロジーに代替されていくにもかかわらず、

多くの学校や会社では未だにそういった人材を育成することに多くのリソースを割いているのです。


苦手なことでも適切な積み重ねをすれば克服できる。

これは事実ですし、こういったことを実感してもらうのは好ましいことです。

しかし苦手を克服させ続けることが目的になってしまってはいけません。

もう時代に即しているとは言えないからです。

かといって苦手な教科の時間は遊んでいたらいいといいたいわけではありません。

反転学習や協働学習など、適切な授業のデザインをとっていくことで叱らないでも成立する環境を整えていくべきであるということです。

そこまでしても集中できないというのであれば、そのときに改めてその子と対話をしていけばいいのではないでしょうか。

子どもや部下はあなたの言うことをきくために生きているわけではない

あなたが指示を通したい相手は、あなたのために生きているわけではありません。

ここをまず念頭においてほしいのです。

彼らにはそれぞれに生きる目的があり、その目的を達成するために学校や会社に来ています。

人生の目的は自覚していない人がほとんどでしょうが、あなたが人生の先輩なのであればこれを見つける手助けができればその人との関係がより深まるかもしれません。

特に学校の先生は、子どもたちの生きる目的やその価値観を見つける介添えをしてあげてください。

卒業までに見つからなくてもそれはそれでかまいません。

自分の価値観について真剣に考えたという経験が大切なのです。

従っているかのようにふるまう子どもたち

僕も子どもたちやチームメンバーを叱ったことがあります。

でもほとんどの場合彼らは怒りに震えながら逆らうこともできず渋々従う・・・そういった態度を見せてきました。

「お前の叱り方が悪いのだろう」

そう思われるかもしれませんが、人生で叱られた経験を思い出してみてください。

ある程度自分も悪いと思いつつもどこかで「いや、でも・・・」と思っていたことはあるはずです。

叱ってきた人に反抗心を抱いた経験もあるでしょう。

力で屈服させられている時点で、相手がいかに正しいことを言っているように感じてもそこには違和感が残るものです。

もう少し突っ込んだ話をすると、何が善なのかは人によって異なります。

それが一般的に正しいかどうかは関係なく、人それぞれ自分にとって良いとされることを行って生きています。

例えば盗みをはたらいた人がいたとしても、その人からすれば生きるために必要な行為だと考えてしているわけですから、それは盗んだ人にとっては善なわけです。

一方盗まれた人からすればもちろん盗むという行為は悪なわけですから、盗った人は悪人となります。

物を盗んだ場合は民主的に決められた法に違反しているので極端な例ですが、

もっと身近な例で行くとどうでしょう。

例えば僕は学生時代にバイト先の店長に怒られたことがあります。

朝急遽電話がかかってきて、バイトが一人来られなくなったからすぐに来てほしいとのことです。

僕は予定が空いていたのですが、前日に飲み明かす予定にしていたので空けていました。

電話をとったときもひどい二日酔いで人前に立てる状況ではなかったのですが、判断力も鈍くなっていて請け負ってしまいました。

そのままの状態で客前に立ったのですが、気分が悪くひどい表情をしながらだらしない接客をした記憶があります。

その姿を店長が見て、

「お前は今日急遽来たかもしれないが、客前に立ったからには仕事してるんだからきちんとこなさないとダメだ。今日のお前のしていることは間違っている。」

と、僕のことを𠮟責しました。

特に言い返しませんでしたが、

「頼み込まれて渋々出てきて、しかも頭はフラフラですぐにでも横になりたいくらいなのに何て言い草だ」と思いました。

今の自分なら出勤した段階で事情を説明して割り当てを軽くしてもらっていたかもしれませんが(笑)

何にせよ、この件に関してもお互いに善なわけです。

客前に立ったならばしっかりとした態度で接客してほしいというのは会社側からすれば当然ですが、

アルバイトからすれば急な呼び出しで且つコンディションも最悪なのであればあまり期待してほしくないとも思うでしょう。

子どもと接する場面や部下と接する場面では、こういったことがよく起こります。

一見経験豊富な指導者側が正しいと思えることでも、指導される側には本人なりの正当な理由があるので、これを頭ごなしに叱ってしまっては相手を尊重していることにはなりません。

それぞれ違う人間で違うライフスタイルを持っているということを認識し、

むやみにそれをへし折るような行為、つまり「叱る」を行使してはいけないわけです。

ーー記事後半に続きます

ABOUT ME
前田ひろあき
教員の複業について日本で一番詳しい者です。 学校の内外を往還する先生を研究実践するNPO「越境先生」代表。 教育系複業家。 現職:任意NPO代表&SchoolTech企業社員&個人事業主/ 過去の職業:複業&小学校非常勤←中学理科教諭←教育大←吉本新喜劇 |